私が気分が高まる写真
私が違和感を感じる言葉にスピリチュアルの人たちがよく使う
『降りてきた言葉です』 とか
『上から降りてきました!』
とか『降ろして来ますね』などなどがあることは以前にも書いたのですが
もう一つ高次の存在が…というのもあります。
高次の存在、とてもいい響きです。でもなんかやっぱり違和感ある言葉です。
でも大切なことばです。
高次元、って言う
次元が高いという意味合いはとても大切だと思うからです。
しかもいろいろ知識を得ていくようになると我々は元々は境い目の無い【無】であり【光】であり【全て】であると言う事はお釈迦様やたくさんのお偉い人が教えを説いているので頭でも理解してます。
だから上とか下とか 高いとか低いとか 目に見えないものをそう言って境い目をつけるのに違和感を感じるのと
それと同時に私は見えない聞こえない大多数の1人なのですが、感覚だけはドレミファのように高い低いがわかったり、民度の高さや低さが分かったり、気分が高かったり、低かったり
その肌感覚と言うのはわかります。HSPと言うだけあり繊細で敏感です。
次元が高いってやっぱりこの地球の物理的の次元からは、上=高いになってしまいますもんね。
意識が高いとか、次元が高いとか、抽象度が高い、視野角が広い人、やはり下より上から広く世界を見渡している、地球の世界を大空、宇宙から見渡しているという視点は
分かりやすいと思います。
人が悩んだり、煮詰まっていたり、足踏みしているときは、視野が狭くなっていることが往々にしてありますよね
目先の事だけしか見えてないとき、自分の事だけしか見えてないとき、感謝を忘れているとき
小さな小さな世界で、小さな小さな私たちはどこまでもおおきなおおきな存在であることを忘れています。
私が過去20年ほど前に心理学を学んだ時の衛藤信之先生が話してくれていた印象深い話があります。子どもが大嫌いだった女性が友人の赤ちゃんを不本意に預かることになり
その赤ちゃんが泣いてお腹が空いた、オムツを替えてって訴えているときに
その女性は初めての自分以外の命の存在、大嫌いだった赤ちゃん(こども)を愛おしいと思えるようになった。人は自分のためだけには頑張れないけれど、人は誰か愛するもののために
頑張れる、別の力が湧いてくるっていう話(なんだかちょっと違うところもあるかもしれない)
いまでもこの話をずっと覚えています。
誰かのためになら頑張れる、そんなときはすでにもう広い視野で生きているのだと思います。
視点を高く、意識を高く、 思考を広く、どこまでどこまで、そんな自分でありたいと
なんだか書きながら何がいいたいのか盛りだくさんになってしまいましたが
最近では昨日までは聞き流せたことがおかしいなぁと思ったらどんどん不要なものに気付いて行くと言うかエセスピリチュアルのデトックスと言うか1か月前には普通だった事でも今日はもう、あ、違うわ、それ、余計な部分わ、要らないわってなるから
まるで小さくなってしまって着れなくなってしまった洋服のような
そんなことの繰り返しを毎日経験していて
昨日感じていたことが遙か前に感じていたことのような
時の流れが早くて、って言うのか意識の違いが早くて
自分でもちょっとビックリしています
この数ヶ月が特にそう感じます
今日も小さな15インチのノートパソコンでこちょこちょとタイピングしているのです。
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